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プロ奢に5万円渡して3時間半通話した件について

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4000人に奢られた浮浪者の偏見で「あなたを分析します」 | 三ツ星スラム

プロ奢に5万円渡したらテキトーに会話してパーソナリティ診断みたいなことをやってくれるというツイートを見て、とりあえず買ってみた。前に2回くらい? 有料マガジンを購読してたころにリアルイベントで顔を合わせたり、コミュニティ内で彼の記事の添削を手伝ったことがあるのだけど、実際に奢ったことはないのでいい機会かなーと思ったのが理由。

結果的に、21時くらいから3時間半くらいひたすらトイレ休憩も無しで喋り倒すことになった。結構面白かった。

振り返ってラベルをつけるならなんだろう... 「世界と信仰とセックス」かなあ。なんとなく響きがエモい気がする。

彼も早速会話のレポートを書いてくれたようなので、僕の視点からも振り返ってみようと思う。

...と思ったけど、構造化して書き下すのがとても難しい。彼と僕の間は「まんじまるから見える世界」と「プロ奢から見える世界」をすりあわせながら1から宇宙を記述する、みたいなめちゃくちゃ壮大かつ個人的な話(矛盾してるけど伝われ)で、これをまとめるのは...眠い頭では不可能だ。

彼から見た僕の世界は「ありのまま」という物質的な絶望への信仰でできており、僕から見た彼の世界は「あきらめ」という精神的な絶望への信仰でできているように思える。だが、僕が普段見ている世界はほとんどが僕の脳内にある「世界を記述する構造=システム」を通っており、逆に彼が見る世界は他人の脳内にあるシステムを通して観測されるものであるように思えた。ちょっと無理に対比に持ち込んでて語弊があるかも。

「ありのまま」への度重なる実験とそれによって得られた1つ1つの法則、その積み重ねを彼は「絶望」と表現し、「子育てを通して自分の知らない世界を観測したい」という発言を彼は「希望」と表現した。

主観的に完成した構造、それを通して見る世界とそこから得られるものは感動やその他の精神的な価値を齎さない、それを「絶望」と呼んだ彼は、直感による行動選択をあえて選ぶようにしているらしい。それは理性による行動、つまり(ほとんどの人間含めプロ奢にも多少はあるであろう)脳内のシステムによる検算を通した意思決定を避けるということのようだ。

彼の根底にある思想は「自分も含めて人間はみんなバカ」というものであり、所詮バカが想像したシステムを通した意思決定なんてしょーもないという若干のニュアンスを感じられたが、直感によるスピーディな意思決定によって行動回数を増やすことを重視しているという説明がされた。

これに対して僕も「直感」がもたらす楽しさについて語り、僕の行動選択の指針は「どっちを選んでもいい、というケースでは直感で決める」「どっちを選んでもいい、という状況を増やすには強さが必要」「強さの1つとして問題解決能力、つまりここからどう転んでもなんとかできるという能力と自信が必要」みたいな話をしたような覚えがある。

強さとは何か、についても結構時間を取って話した。やるべきことをやれる能力だと。彼は「野生動物は子が死んでも翌日には別の子のために狩りへ行く、それはほとんどの人間が持っていない強さだ」みたいなことも言ってたっけな。

強さの根源が野生にあるということについては同意するところ。そもそも社会は「みんなが強くならなくてもみんな生きていける」ことを目的に分業やら社会保障やらを実現しているわけで。

育児、結婚、恋愛、射精の話。これもなんだかんだ1時間弱くらい話してたかも。僕は人間相手に射精できたことがなく、会話の冒頭でもそんな話を彼に明かした。彼曰く「これはかなり重要なこと」だと。彼の表現である「強大な前提、巨大なシステム」は目の前の人間を行動選択の入力としか捉えられない。システムの内側に存在する自分自身を探し出し、相手をその内側に入れることでしか射精のような非随意な開放を実行することはできない。彼は「システムに組込まれていないくらい突拍子も無い行動をする」「官能小説を100冊読んで開放をエミュレートできるようにする」などのアイデアを提示したが、「強大な前提、巨大なシステム」を前にそれらの活動がどのくらい意味をなすのかについてはお互いに分かりかねるところだった。

信仰の話に一瞬だけ戻るが、彼は僕の「ありのまま」を受け入れる姿勢をキリスト教などの宗教への信仰と同質なものだと言った。僕は「神への信仰も現実の受け入れも同じものをさしている」「目の前の現象をどのような名前で解釈しているか、ラベル付けの差でしかない」と返した。

彼は最近機械学習(話ぶりからすると特に遺伝的アルゴリズム)に興味があるらしく、「淘汰」という事象によってあらゆる現象をどこまで説明できるかについて考えているようだ。彼は宗教にも淘汰という概念があると説き、僕は人が作る仕組みには民主的なものと独裁的なものがあると返し、ミクロな意味では淘汰が行なわれない可能性について指摘した。

キリスト教の歴史には詳しくないので適当に喋ったのだけど、キリスト教の聖書と仏教の経典にはそのような分類をあてはめることができると思う。というのも、聖書は構造と内容が固定されているものであるが、経典はテーマごとに分かれた教えの集合体であり、その集合の中で淘汰が起こるという違いがあると考えたからだ。

そうなると、個人の脳内に積み上げられる構造、システムとは独裁的なものであると解釈できる。つまり、本人にとってそれなりの出来事が発生しなければ再編集が実施されない種類のものだ。そのような性質を持つものをときほぐし、自身の本質(そんなものが存在するのかすら分からなくなっているが)を目の前の相手にさらけだすことは容易ではない。独裁的なシステムは独裁者以外のものの意思や行動から影響を受けることはない。

最後に話したのは、システムを騙すことについて。自己暗示。目的の価値かコスト感覚のどちらかを虚構で塗り潰し、システムにとって非合理な意思決定を強制する行為。これはほとんどの人には経験があるだろうが、僕にはなかったものだ。

濃密な3時間半だった。自分を100%開示し、僕が理解できる部分について彼も100%に近いところまで開示をしたであろう。僕と彼はそれぞれ表面上は直交する種類の絶望への信仰を抱えているが、根っこでは近しいものの捉え方をしているように思えた。おそらくどちらかが大きく変わらない限りまた話すことはないだろうと思う。お互いに今回の話題についてはこれ以上明かすとこがないくらい明かしたので、会話を積み重ねる意味がほとんどない。

彼と「まんじまるの中で何かが変わったらまた話しましょう」と言われたので、「次会うときは現地で奢ります」と答えた。その次が何年先になるか分からないが、近い未来でないことは確信している。そんな簡単に編集できるシステムなら、そもそも5万円払って話す必要はなかったのだから。